大疑獄事件へと発展した、ある企業の事件があった。
私も、その企業に少し関わった時期があったので、
他人事ではなかった。
それまでに急成長を遂げてきたその企業は、
心理学を応用し、社内の活性化に成功した。
しかしながら、ついつい先を急いで、あやまった行動に出てしまった。
社長、逮捕、有罪。
(しかしその後の田原総一郎氏の著書の中では、あれは有罪ではなかったという記述もある)
その後、その企業の営業活動は逆風に煽られた。
若い社員が多かったため、モラルやマナーに欠ける所も少なくなかった。
しかし、信頼回復に必死になって努めていった。
急成長時は、こぞって持ち上げたメディアも、
例に漏れず、掌を返したように、バッシングに変わる。
社員も会社名すら、伏せたがる時期が続く。
しかしどうだろう。今や、多くの起業家を配するエクセレントカンパニーとなった。
元○○社出身という肩書きさえ、一つのブランドにさえなってしまった。
例えば、”自ら機会を創りだし、機会によって自らを変えよ”といった、社是。
”自主性を尊重、失敗には寛大だが、消極的姿勢には厳しい”そういった風土。
犯した罪は問題だったが、考え方のすべてが否定されるものではなかった。
私の学生時、サークルで一緒で一時期お世話になったある知人もベンチャー社長ブログを書き、頭角を現していたり、
起業はしてないが、専門分野で、ある専門家と共に本を著した者、
また、同じ部署にいた女性社員も今や、いつの間にやら、見事にある会社の舵取りをしていたりするし、
同じ事業部の先輩には、学校長になった方もおられた。
罪を憎み、人を憎まず。盗人にも五分の理を認める。間違いは間違い。
しかし、正しいことは正しい。
一部の人の過ちにより、周りから悪いレッテルを貼られることがこの社会においては往々にしてあるが、
地道な社員の頑張りが今、信頼を回復させ、さらには、ビジネス界から注目される企業にまでなったのだ。
すべてを評価するとまでは言わないまでも、一部、特筆に価する素晴らしい結果となって現われている。
私は、常日頃、人を見る時、その表面に現われない良い面をできるだけ見るように努めるようにはしている。
逆に言えば、普段、一見、悪い面ばかりが見えてしまう人にも、誰にも何かいい所があったりするということでもある。
また、その企業が評価を下げ、批判を浴びていた頃、既にそこに属してない身であった時にも、
悪い面は、こういう所で、いい面は、こういう所、と、
公平な目でなるべく評価するようにした。
逆に擁護さえした。組織の活性化においては、優れた実績があったのは紛れもない事実であったからだ。
しかしながら、時には、人から、なぜそんなに肩を持つのか、回し者じゃないか、と思われたりもしたが、
今、思えば、その評価は決して間違っていなかったということになるのかもしれない。
その企業に限らない。何事も、陽と陰、光と影、良い面、悪い面、それぞれある。
先ほども書いたが、かの”カーネギー”氏のベストセラー『人を動かす』にも、”盗人にも五分の理を認める”とあるが、
(これは使われ方は多少違うのかもしれないが)
常に、正しい目で物事を見るようにして、周りの評価だけに惑わされてはならないと思っている。
マスメディアや著名人の言葉などは、ついつい私たちは、鵜呑みにしてしまいがちでもあるからだ。
もちろん、罪を犯したとすれば、その犯した罪に対しての、その償い、報いは当然必要であり、
ましてや、それが、人命にも影響するような事であるなら、それは言語道断、断固として、非難されなければならない事であり、
許すわけにはいかない。そういった罪には強く立ち向かわなければならないのは当然のことだ。
しかしながら、そのように、私の通してきた、世間の風評に惑わされず、あるいは権威に屈せず、いい物はいい、いい部分はいい、いい考えはいい、
という姿勢が、時に、誤解され、短絡的に、”いい”と評価した組織の一員や仲間であると、早合点されてしまう事さえも時折あるのだ。
それが、実際には自分と対立しているような位置関係にあるような所であってもである。不思議だが。
物事を短時間で正しく伝えるのはそういう意味では非常に難しい。順序を追って伝えようとしても、最初に伝えた部分だけで判断されてしまう事もあるからだ。
この文章すらも、果たして伝えたいことが思うように伝わるかもわからない。
しかし、私も、頑なになろうとは思わないので、常に、心の扉を開き、
より良き物、正しき物を、求めるようにしている。
誤解する方が悪いとは考えず、誤解された自分が悪いと考えるようにもしている。
時代が移ろい行く中で、普遍的に正しいこと、時代と共に変化するもの、時代の変化の中で次第に理解されていくもの、いろいろあると思う。
でも、どんな事があろうとも、正しいと思ったことであれば、それを実践して広め伝え、そして、どんな人も受け留めていける器の人間になりたいと思ってはいる。
いろんなことがあるが、失敗を糧に飛躍したその企業のように、私も、失敗から学びうる教訓を大切にし、努力していきたい。