2006年10月05日

イベント企画集団にて/吹っ切れる/再起〜添乗員(走馬灯体験)

・・・【運命を恨む思い/ぐれる気持ち/人を傷つけ苦しむ】のつづき・・・

【イベント企画集団にて】

イベント集団に属したのですが、その頃は、そこで頑張ろうという気持ちがありながらも、

自分の周りの人間関係との兼ね合いで私自身が何かある種冷めた考えを持つようになってしまっていて、

その集団の軽さや元気さにすんなり溶け込めずにいたのでした。でも心の底では、

そうしたい、という気持ちはあったのです。ところが、そういった振る舞いに対して、

批判的なある友人の変な影響を受けてもいて、自分も、

それが“大人なんだ”みたいに考えて無理に背伸びして合わせながらいたので、

その両方の関係の狭間の中で、いったい自分はどう振舞ったらいいんだ、

どうしたらいいんだ、そんな思いに苦しんだのです。どちらかというと、本当は、

そのイベント集団のメンバーと同じように元気にしていたいと思っていたのだと思います。

しかし、それが、今度は急にできなくなってしまって、苦しんでいたのだと思います。


クールな友人といる中では、そういう気軽に元気に、

軽い気持ちで振舞うことができないストレスがあったのですが、

本質的な話をする上においては、貴重な相手であったので、時に、そういう点においては、

私の心を満足させてくれる関係であったことも確かなのです。

冬にそのイベント集団の合宿があるということで、参加しました。することは、

スキーの練習です。

信州のロッジに宿泊し、コーチから、スキーの初歩を教わるのでした。

それはそこのイベント集団の企画のメインが、スキーツアーだったからでした。

信州その他のスキー場などへのスキーツアーを企画し、そこに添乗員としても参加し、

お客さんを喜ばせるというものでした。

私は、スキー自体初めてでした。実はそれほど興味はなかったのでした。

また、旅行にも特に興味はなかったのでした。

何か面白いことを企画するのには興味があったので、

そういうことができるということで入ったのですが、連日、朝早くから、あちこちに行って、

そのツアーのパンフレットを街角や学校前とかで配布するのでした。

アルバイトというわけではないので、交通費も自費、

もちろんバイト料がでるわけではありませんでした。

ただ、無料で、ツアーに添乗員として参加できるという話なのでした。興味の薄い私には、

なかなか乗り切れない仕事でした。

スキーの合宿に参加する頃の私は、そんな流れもあって、

自分に悩み、人間関係に悩み、

そこでする事自体も含め、

一体自分は本当は何がしたいんだと、

いろいろ悩みを抱えてしまい、


前向きな気持ちでは参加できませんでした。いや、むしろ非常に、

嫌々仕方なく参加する状況であったのでした。一応、参加しましたが、行きから帰りまで、

ずっと憂鬱な気持ちで、一緒に参加した人たちにもすんなり溶け込めず、本当に、

参加したこと自体が申し訳ないような状況で参加したのでした。

大学1年の冬、私は本当に毎日が、ブルーな気持ちで、陰鬱で、

“うつ”な気持ちでいました。

何をやっても面白くないし、気持ちが明るくなれないし、

目標も喪失してしまった状況に陥っていたし、性格、人間関係、

そんな事でも壁にぶち当たっていて最悪の状況になっていました。


成人式の日にも、そんな暗い状況で参加したのでした。昔、自分は成人の日には、

自分の誕生日でもあるし、通常は祝日で休みなんだけれど、その日は、

最高ののりで最高の日にしたいなと思っていたのでしたが、全く逆になってしまいました。


【吹っ切れる】

そんな最悪の真っ暗な状況から、どうやって脱出したらいいんだ、

と悩みの真っ只中の自分でした。

もう、そのイベント集団もやっていけないな、とも考えていました。

でも、途中で、一緒にバンドをやろうといって誘ってくれた先輩が面白くていい先輩で、

少しばかり助けられたのでした。

クールな友人とも、会っても、気持ちが滅入ってしまうので、

なるべくこちらから会うのは避けるようにもなりました。

ある時、ちょっとした事が何か、自分の気持ちに新たな風を吹かせてくれました。

たいしたことではないのですが、自分には一つの切っ掛けになりました。

それは、バイク、といってもスクーターですが、免許も取ったので、

とりあえず原付でバイクを買って乗ろうと、買って始めて乗り出したのですが、

風を切ってスピードを出して乗っているうちに、

つまらないことに、くよくよしていた、

ふさいでいた自分が何か、馬鹿らしく思えてきた
のです。



風を切って飛ばしてみると、

変に大人ぶってないでもっと、豪快に、元気に、

颯爽と生きたらいいじゃないか、


こんなに気持ちがいいし、ああこんな世界もあったんじゃないかと。



変に、格好やスタイルにとらわれたりして、

がんじがらめにされている窮屈な生き方が、

すごくちっぽけに思えてきて、

何か一つ吹っ切れた感じがありました。


その頃、私は、ロックボーカリストの佐野元春さんの新曲『Young Bloods』を聞いて、

すごく心が惹かれ、気に入って、部屋でその歌まねを何度もしていたのでした。

そして、今度は、そんな流れの中で、一緒にバンドをやろうということで、

時々、バンドの練習を始めた仲間と、練習後、カラオケスナックに行った際に、

その曲を歌ったのですが、別に特に受けを狙ったわけでもなかったのですが、

その特徴ある歌い方とかも含めてちょっとなりきって恥を忍んで力一杯歌ったら、

妙に受けたばかりでなく、何か久し振りに、自分の中で押さえられていたものが、

外に発散できた所もあり、一つの新たに再起する切っ掛けにもなっていったのでした。

「いやあ、実はこんな人間だったんですよー」みたいにおどけてみせたのでした。

そして、そういったバイクでの疾走や、バンドやカラオケから、新しい切っ掛けをつかみ、

もう一度、元気にやり直そうという思いを抱くことができたのでした。




【再起〜添乗員(走馬灯体験)】


そのイベント集団の一人から、これから続けていくのかどうか、

聞かれた時、頑張ってやってみようと思う気持ちを伝えたのでした。

それから、吹っ切れた思いで再起をかけ、パンフ撒きにも精を出し、

元気に頑張り始めたのでした。


私は既に2年生になっていたので、後から入ってきた後輩もいたので、

1年と同じ立場からの再起になりましたが、

張り切って、遅れを取り戻す勢いで頑張ったのでした。



伊豆諸島の島のツアーの企画が持たれ、一人、駐在員と言って、

お客さんが来たら、添乗員として対応し、

お客さんの来ない時は、その宿泊先(民宿)で働く
という、

そんな役回りを誰か一人やってくれないかという話が、そこのメンバーにあったのでした。

「◇◇、やらないか?」そう言われました。

押されたので、前向きな気持ちになっていた私は、

他にやるという人がいなかったのもあって、OKの返事をしたのでした


期間は2週間ぐらいだったでしょうか、正直、わけもわからず、とにかく引き受けたという感じで、

周りもだいぶ不安を持っていたと思います。

しかし、その頃の私は何だってやればできるみたいな気持ちが強くなっていたようで、

結構平気で構えていました。

まず、一人で、船で島の民宿まで行きました。しばらく前に一応、

もう一人と下見には来ていたので、とりあえず何とかなるかと思いながら出発しました。

しかし、行きの船の中では一人でもあって、慣れない旅でもあり、

すぐに横になって寝込んでしまったのですが、近くのおじさん連中から

「迷惑な奴だなあ」と私のことを指して言っているのが聞こえ、

あまりいい気持ちがしない孤独な旅の始まりとなりました。


とりあえず、民宿に着き、挨拶して、確か3畳ほどの部屋を与えられ、後は、

仕事を教わりながら手伝っていきました。

数日後、最初のお客さんが到着しました。

明るく元気のいい4人グループの娘達と、少し静かな2人の2組でした。

4人グループの方は、イベント集団の他のスタッフの知り合いの知り合いでもあって、

すぐに打ち解け、初めての添乗員の私にとっては大変やりやすくお客さんにとても恵まれ運が良かったのでした。

私をうまくのせてくれた所もあって、逆に私が助けられたのかもしれません。

割と楽しく時間が過ぎていきました。

そして最終日の夜に一緒に飲みに行くことになり行ったのでした。

そこでわいわい話をしている中で、

なぜか話の流れで、私がちょっと身の上話をする状況が生まれてしまいました。

「実は今年の春まで、いろいろ友達関係に悩んで暗くなってて・・・」

そんな話をなぜかすることになってしまったのですが、

そんな自分の半年前ぐらいからの暗く悩んでいた話を、ちゃんと受け止めて聞いてくれたので、

私はすごく嬉しい気持になったのでした。


しかし、結構飲まされてしまい、

「あんな娘たちに飲まされてのせられて俺もしょうがねえなあ」

とその場が終わって部屋に戻り、酔った状態で思ったのでした。


翌日、一行が帰る日でした。

アンケート、感想を書いてもらって、港まで送りに行きました。

書いてもらったアンケートを途中ちらっと覗いて見てしまったのですが、

「楽しかったです」「良かったです」とか、

とてもこちらが嬉しくなるような感想が書いてあったので、本当に嬉しい気持ちになりました。

もう少しで、一つの自分の役割を果たし終えるという所までたどりついた状況でもありました。

記念写真をちょっと撮ったりして、その後、一行が船に乗り、船が出航するのでした。

船から皆が手を振ってるのが見えたので、私も大きく手を振りました。

少しずつ遠くなっていき、段々小さくなり、海に消えていくのでした。

船が出ていくシーンが、映画かドラマの1シーンのようで、

妙に熱い感動が沸き起こりました。

この時、私は、“胸が熱くなる”体験を恐らく生まれて始めて味わったのでした。

本当に“胸が熱く”なったのです。


昨夜、自分の苦しい期間の話を心で受け止めて聞いてくれたこと、

感想文に嬉しいコメントを残してくれたこと、

私にとって、この時は、とてつもない瞬間になったのでした。



私は、船がもう見えなくなった後、しばらく呆然と立ちすくみ、

その後、いても立ってもいられなくなり、

すぐにレンタルバイクを借りて、少し、離れた所まで乗っていって、

一人きりになって、岩場で、横になって、感傷にふけったのでした。

そして、“走馬灯”の如くに、

今度は、半年間の落ち込んだ期間の記憶だけではなく、

17で挫折してからの数年間の様々な悩み苦しんだ思い出や、

決心して、いろいろ頑張った日々が、


本当に“走馬灯”の様にぐるぐる頭の中に浮かび上がってくるのでした。


何しろ、少なくとも挫折して以降、数年、自分は、“勝利感”というものを、本当に、

長いこと味わってなかった気がしていたのでした。

大学入学後は自分の中での小さな達成感はいくつかありました。

しかし、周りからの手応えをここまで感じながらのものとしては、

本当に久し振りに味わった勝利感、達成感、満足感、だったのでした。

そして、自分の存在や苦労を理解してもらえた喜び、それらが、

そのきれいな海辺の情景と相まって、一層その感動を引き立ててもくれたのでした。

しばらく、そのままその余韻にひたりきっていたい、誰にもしばらく会わずにひたっていたい、

雑踏に戻りたくない、そんな思いで一杯で、誰もいない静かな所まで、

衝動的にバイクを借りてまで来てしまっていたのでした。


・・・つづく・・・

⇒8新たに芽生えた価値観








posted by 大空巡夢(人間力探求家) at 01:14 | TrackBack(0) | 19〜暗中模索の自己改革期
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