2008年12月17日

社長に無意識に抱いてしまった不信感

改革提案を手紙を添えてお渡しして以降、

結局、社長ご本人からは、私に何の返答もなかったのでした。

そして、それゆえ次第に失望感に変わっていくのでした。


意を決して、お渡ししただけに、そのあと、もし私が社長の立場であったら、

すぐに本人(私)に電話を入れて、「どうもありがとう!今度、一度話をしよう。いついつどこどこで・・・」
と、連絡を入れているよ。こんなんじゃあ駄目だ。話にならない。私が書いたような内容を、雲の上のような存在になってしまっていて、また、周りがイエスマンばかりになっていて、現場の実態が伝わってないと思ったから伝えたのに。
現場の問題もあるけど、これはやっぱり、社長自らの問題だ!
以前社長は、ある若手社員の集まりで私は若い人が好きだ、とか言ってみたり、若手の声や現場の声を聞きたいと、社長に直接意見や提案を伝える社内の提案制度をコンサルタントの力やノウハウも借りながら、作っていたけど、果たして本当にその言葉は本心からなのだろうか?ただ美辞麗句を並べたてただけだったんじゃないか?

そう次第に疑心暗鬼にならざるを得ませんでした。

結局、ある役員の口から間接的に社長は「私にはわかりませんな」と言ってたよ。
との話。そしてその役員の方は「まさに書いてある通りだと思うよ。しかしよくまとめたね。・・・」
そんな感想を言われたのでした。
ところが、その役員も、そう言いながらも、その提案書がどんな経緯でできたか知らないにも関わらず、「こんなの何か本でも見れば書けるんだよ」みたいに言われたのでした。
私はただ本を見てそこから抜粋して書いたというのではなかったのです。
確かに、自分なりにちゃんとした答えを得るために、本も含め、いろいろな情報を集めもしました。
新聞、雑誌、そして何よりも、現場での苦労、あちこちの工場や事業部、事業所を回ったりする中で、いろいろな社員の声を聞く中で感じ取った事々、工場で泥まみれになって仕事をしながらその人間模様を見ながら感じ取った事々などなど、それこそ血と汗と涙に滲んだものでした。
しかも、勤務時間中にはそのような考えをまとめる時間は取らず、あくまでもオフの時間、昼休みにも車で図書館に行って複数の新聞を速読で読み、必要な情報を集めたり、帰宅後、まとめたりと、
本当は高い給料をもらっている役員さんがしてくれよ、と言いたいぐらいでした。
それに投入していたので、妻との間にも、一時、亀裂さえ入りかけたものでした。


社長ご自身が「私にはわかりませんな」という状況であったとしても、それだからといって、何も返答しなくていいというものではないはずであり、本来であるなら、そのポイントは何なのか?だけでも改めて聞いて、必要に応じ、関係部署の意見を聞いて対応させるなど、"現場の声を聞きたい"と常々言われているのであれば、まさにこういう時にこそ、直接、声をあげている社員の生の声を聞いて吸い上げる絶好のチャンスであろうに、とその行動に不信感を持たないわけにはいきませんでした。

役員の二人の方が、それに対し、評価、感心しながらも、結局は、ある種の嫉妬心もあり、一社員が何だ!みたいな立場の弱さに付け込んで、否定してくるのでした。自分たちが水面下でやっているんだから、自重してくれ!そんな反応だったのでした。しかし、その後、それなら、その結果としてこうなった、とかの話もなく、数年後気が付くと、その役員も契約期間が切れ退職されてしまうのでした。何と無責任な、と思いました。
提案書を渡してから約3ヶ月後の正月に、年始の初巡視という恒例の行事があり、私の当時赴任していた山梨の工場に社長以下役員の方々が工場に来られるのですが、私の気持ちの中では、きっと社長の顔を見たら睨みつけてしまうだろうと思っていたのでした。
しかし、私は一体どうしたらいいんだろう、と思った時に、以前読んだカーネギーの本に、そういう相手にも笑顔を見せてみる、といったことが書いてあったのを思い出し、やはりそうすべきなのだろうかと思い、気持ちをこらえて、笑顔で挨拶したのでした。
しかし、その後も、それで良かったのだろうか?多少睨むぐらいの表情見せた方が、相手も察してくれたのではないか、といろいろ思わされたのでした。

結局、それから退職するまでの約4年間は、改革という点においては、やや冷めた状態で過ごさざるを得ませんでした。

コンピュータネットワークの構築のプロジェクトでも、結局社内の根本問題の改革は骨抜き、そして途中までは期待したISO導入に伴う改革も、ISO資格取得後の幹部の方々の姿勢を見ると、本気で改革を考えてないということがはっきりわかり、もう私の努力で、簡単にはどうにもなりはしない、それだけの力を投じるなら、別に自分自身が理想のものを構築することに力を注いだ方がいい、という結論に至ったのでした。

しかし、

私の心の根底には、どうもその時以来、社長に対する恨みの気持が潜在的に刻み込まれてしまったようなのでした。だから、どんな美辞麗句を社長の口から聞いても、言行不一致としか思えず、しらけるばかりなのでした。

しかし、私としては、それでも関連会社含め従業員300人超、資本金1億円超、分類上、大企業にぎりぎり入らなくもない規模の会社で、社長も答えられない内容で、役員二人をして、"よくここまでまとめたね"と関心させ、その他、それを見てもらった何人かの社員に、やはり感心され、応援された、そんな提案書をまとめ、また、ISOのプロジェクトを通しては、工場長や事業部長をも時折、唸らせ、その頃、一目を置かれるほど、評価、株を上げ、自分の中で、一つの企業組織の中で普通の人がやるべき以上のことを、9年間の中である段階までやれた、という誇りを持って辞めることができたと感じられたのでした。
ISO資格終了後、私に残された選択肢は、人材が他にいないので、コンピュータ部門で、その専門家になっていくというものでした。
私はISOへの取り組みを起点として、組織改革に関わる仕事に取組み将来的には、その道のコンサルタント的な仕事のプロフェッショナルというものを考えていました。
しかし、その部門は専属的に抱えるような意向は会社にはなく、先に書いた道しか残されなかったのです。

トップに対しての許せないような思いと、ここにいても将来展望が描けない、という二つのことが頭にありました。
でもよくよく考えると、この会社を通して自分の将来ビジョンが描けない、というのがやっぱり一番の理由かと悟りました。
それが描けていれば、トップが問題があろうが、どこまでも頑張ったかもしれません。
なので、私は会社の中の問題点は確かにいろいろあれど、そのことを辞める際に一切口にすることはなく、ただ一つだけ、「ここでは自分の将来ビジョンが描けない」という理由だけ伝え、誰かを批難することは一切せず辞めることとしたのでした。
評価が上がってきたところでもあったので「もったいないねえ」とかも言われましたが、仕方ありませんでした。

しかし、退職後の明確な青写真はまだ十分には描き切れておらず、まあ、何とかなるだろう!と自分に言い聞かせていくという状況でありました。もう進むも地獄、退くも地獄なら、進むしかないだろう、という状況であったのです。

数ヵ月後に、独立の一歩を踏み出してからは、もうすっかり社長への恨みの思いなど消えていました。
すっかりある種の解放感に浸り、独立したんだ、とサラリーマン時代になかった感覚を味わっていったのでした。
もちろん、責任は大きくなり、大変さも大きいことには間違いありません。

そして、また新たなるドラマが始まっていくのでした。










posted by 大空巡夢(人間力探求家) at 20:45 | TrackBack(0) | 28〜超自己否定の逆境へ
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