2008年09月20日

SNSと人間力

SNSに関わって、2年ぐらいになる。

大小様々に、SNSとも関わってきた。

ほとんど登録だけで終わってる所もあるし、退会した所やいつのまにかなくなっていた所もいくつかある。

しかしながら、最近、私の中で感じているのは、

SNSも入り込むほどに、疲れるケースが多いという点から、何かやはり問題が潜在しているように思うのである。
その第一は、相手の反応待ちで、相手の反応に期待しなければならない点である。

この宇宙は、与える一方であることが安定や発展を生む基本の法則となると考えているのだが、

そこから考えると、与える一方ではなく、日記を書くこと自体が、誰かのコメントを受けることを待ってしまう行為となってしまうのである。

これがリアルであったら、何かぶつぶつ独り言を言って、それに対して「どうしたの?へえそうなの。こうよね。」といった誰か近くで聞いた人の反応を待っているようなものである。
誰かに聞いてほしいなら、そもそも個人的に聞いてほしいとして、メッセージを送ればいいのだと思うが、

そういう関係でなければ、まずは独り言から入るしかないとも言える。
でも、リアルでは、それはおかしな行為である。

リアルでまだ付き合いの浅い人と関係を築いていくにしても、個々にきちんと話しかけていくのが普通であって、聞こえるように独り言を言うような行為はおかしな行為である。

ましてや、それに応えてくれなくて気を揉んでしまうような状態も決して健全とは言えまい。

その独り言が聞こえる範囲内にたくさんの知人がいれば、そのうち何人かは答えてくれたりするから、独り言自体がおかしな行為であるにしても、別におかしいとも感じないばかりか、関わってくれて存在感を感じることによって逆に嬉しさや有難さを感じてしまうのである。

そうなると、また味わいたくて、独り言を繰り返すことになるのである。

独り言はやめて、誰かの独り言に対して、必要なコメントを送ることに徹すれば、ややリアルでもまともなやり取りとも言えるかもしれない。
しかし、リアルであれば、瞬時にやり取りの済む短い会話が、それなりの間をおいてなされることは、時と場合によってはとてももどかしくも感じるものである。

SNSでの主流な行為である日記の基本が、そうした独り言であって、与えることで発展する宇宙の法則からはずれている行為であると考えると、やればやるほどに疲れるというのは、やむをえないことなのかもしれない。本来は、それをすればするほど喜びにあふれていく、力が湧いていくようなものが、未来永劫残っていく仕組み、システムだと考える。

そうなると、今のSNSは、まだ改善の余地が大きい気がする。








posted by 大空巡夢(人間力探求家) at 18:09 | TrackBack(0) | 感じたこと

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