2008年09月22日

複雑なるSNSでの人間関係

あるSNSでのやり取りで感じた。

自分の売り込みというつもりでもないのだが、そういう要素が含まれてるようなものには、まだ関係が薄いととりわけ反応が鈍くなる。

人に讃辞を送ると当然反応してくれる。

何か投げかけて教えを請うと教えてくれる。

結局与えた分しか返ってこないのだと改めて感じさせられる。



ある巨大SNSについて改めて思わされたのは、

そこではまず日記の扱いが、基本的に人間関係における通常のあり方から逸脱しているように感じてきた。

なぜかというと、日記とは本来、自分だけでみるもので誰かに見てもらって評価してもらうものではない。また、当然、人の日記を読むこともしないし、評価することもしない。

人と関わるには本来何らかのコミュニティなりの場を通じて関わっていくものであろう。

そしてそのコミュニティは何かのテーマがあり、お互いにその共通テーマに少なからず関心があって集ってきている。

しかし、巨大SNSでは、友人のくくりに入れた人たちと無制限なテーマでのやり取りをしていかなければならない。

自分もそうだが、友人にしても当然、無制限なテーマで日記を書いてくる。

興味ある内容かどうかもわからない。

それにコメントを無理に付けるのも大変だし、付けてもらうのも大変。
かといってずっと無関係では友人関係も名ばかりになる。

そりゃあ、よく言われるコメントの義務化、"義務"の意識が強くなってしまう。


そうなると大変。コメント自体が苦痛にもなる。日記を書くこと自体も余計な神経を使うことにもなったりする。

やはり、何かの共通テーマの元に集った中で意見を言い合ったりする方が自然で楽だと思う。

SNSで作られる、ある種、即席の感の強い"友人"の選択は、何か少し共通項なり、関心の向く要素があったりしたからだと思うが、その部分でのやり取りがなされるという保証はまったくなく、"友人"に加えた後に、話の合わない部分が多いと感じることも意外と多く出てくるのではないだろうか。もちろん、必ずいずれか片方から承認要請が来るのだから、こちらの意志ばかりでも決められもしないのだ。拒否する選択肢があるとはいえ、そんなことは通常はできないものなので、いろんな関係が入り乱れることになりうる。


巨大SNSで感じてきたそこはかとない居心地の悪さはそういったことが原因なのかもしれない。

例え、即席友人であってもたくさん作ってしまえば、自分の日記に関心が向けられてコメントしてくれる人が存在してくれる可能性や確立も高くなってくるだろうし、人の日記の中でもコメントしたくなることを書く人が存在する可能性や確立も高くなるだろうから、そういった対象が少ないよりは、義務的な部分が少なくストレスも少ないかもしれない。
しかし、どんな人からどんなコメントが付くかは自分で制御できないのと、あまり自分にとって嬉しくないコメントでも全体に公開されているので特定の人にだけコメントを返さないのも非常に失礼なので、どんなコメントにも返事が必要となる。そうなると今度はそこにストレスが生じることも出てくる可能性がありそうだ。

そう考えてみると、特に自分の日記とかを書かずに、好きなテーマのコミュニティで、相手が喜ぶようなコメントを多くしていくのが、ストレスをためずにうまくやっていく方法と言えるかもしれない。

日記を書くなら自分の本当の日記として、ブログでも、紙でもいいから、別に自分だけで自由に書く場を持っている方がよいようにも感じる。

リアルの世界と対比してみると見えてくる部分も多い。やはり相手に求めずに、与えていくということにできるだけ徹することが良好な流れを生み出す基本なのだと思う。









posted by 大空巡夢(人間力探求家) at 07:27 | TrackBack(0) | 感じたこと
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