2008年09月15日

環境による人の意識の変わりよう

あるちょっとした体験を通して、あることに気付かされた

日本人は奥ゆかしい、とか、和の精神を重んじる、とか、あるいは、皆と同じようにせずに突出すると、村八部と言われるように、はじかれてしまう風潮があるが、

たまたま、あるそういったような疑似体験をして、アメリカ型との違いが多少なりわかった気がした。

すなわち私の感覚では、アメリカ型は言わばその逆で、個をいかに打ち出すか、それぞれ違うことを受け入れあいつつも、強く自己主張していかないと生きていけないぐらいのところもあり、弱肉強食的な生存競争も激しい印象がある。



ある巨大SNSにちょっとばかり身を置いているが、そこはまさにアメリカ型という感じである。

人の数は多いが、多すぎてあまり人を構ってられない。

和をもって・・・という感覚は薄い。だから、必死で自己アピールして、ちょっとした接触であっても、自分をわかってもらえるようにPRを身に付け、アピールしていかないとやっていけない、そんな感じがした。

消極的な奥ゆかしい性格の人間は、半ば取り残されてしまう。

そんな環境にずっと身を置いたら、嫌でも次第にそういった処世術を身に付けていくはずだ、とそう思った。

これがまさにアメリカ型なのではないかと思った。

つまずいて倒れていても案外、素通りされて置いてきぼりを食らう可能性も高い感じがした。

例えば、野球のメジャーリーグの世界がそうだ。実力があれば、すぐにでも、しかも大金も手にしてどんどん使ってもらえる。が、過去に栄光を残しても、力を失えば、すぐにお払い箱だ。

日本とはだいぶ違うと思う。



そして、またとある別なSNSは小じんまりして、なんか村のような、なにか皆が仲間というような暗黙の空気が流れているようにさえ感じる。

だから、すぐに通りすがりの人に声をかける。

あまり自己PRし過ぎるような態度は逆に鼻につくのでは、という感覚さえする。

また、別に急いで自分をアピールしなくても、段々わかってもらえる感じがした。

変な気負いを持つ必要もない感じさえした。

ああ、これが日本的な土壌で育まれたいいところなのかもと思った。

もちろん、すべてにおいていいとは思わない。逆に、個性が出過ぎると変な目で見られるような風潮はなくなっていくべきだと思うので、それぞれのいい所が合わさればいいかと思うのだが。

ちょっとばかり実感させられた。









posted by 大空巡夢(人間力探求家) at 11:27 | TrackBack(0) | 感じたこと

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