2008年08月21日

どん底からの脱出(5)挑戦、騙され危機、決死の脱出

前職で多少身に付けた分野のIT関連で独立起業する。

が、しかし、

取引先に騙され、経営難に。一家心中をも脳裏に浮かぶ。心臓が高鳴り続ける日々を味わう。

その後、

何とか危機を脱し、やや低空飛行ながら安定する。能力買われ、人間教育に絡むテーマで講師の依頼も時折受けるようにもなる。



前職で、品質マネジメントシステムISOの資格取得プロジェクトでの任務がほぼ終了し、再び元の鞘に収まり、情報システム部門での仕事が中心になっていった。

正直言って、私にとっては、ISOは自分には非常に合っていた仕事だった。

元々組織活性化ということに、大学でサークルの組織運営に疑問を抱いてからずっと関心、問題意識を持ち続けてきていたからだ。

超活性化組織の某企業にも関わったこともあるばかりでなく、
会社改革へ向けて、いつも必死で考えを巡らせ、情報も入手していた。

たくさんの気付いたメモも残し、また、それらをまとめることによって、改革提案書までも作り上げた。

またその過程で、実際には、取らなかった(いや、取れなかったのかもしれない)が、中小企業診断士の勉強もいくらかしていたので、そういう基礎知識も入れていた。

自分なりの理想の経営論、組織論もある程度確立されていた。

そういうこともあって、プロジェクトでは最年少であったが、必要に応じていろいろ発言もさせてもらった。暴言、失言も多くあったかもしれないが(苦笑)。

また、マニュアルを作る際に、いろいろ解釈が分かれることも出てくるのだが、日本語の解説本でもはっきりしないものも出てくるので、英語の原文も読んでの解釈さえもしていった。

それぐらい、力が入ったので、内部監査リーダーを務めさせていただいたこともあり、その立場から、現場の問題点を指摘していった。

1回りも2回りも年長の、現場責任者と対等に渡り合えるところが何といっても、この内部監査の醍醐味かもしれない。極端な年功序列意識の強いその会社では、とても考えられないような、過去にはありえないことだった。少なからず私の真価が発揮されることとなった気がしてやまない。

しかし、そのプロジェクトも終わり、また情報システム部門でコンピュータを中心に仕事をしていくのは、やや気後れした。

私の上司は元々、それが専門でやってきた人だったが、私はそうではなかったし、本当は、ISOを通しての会社改革に関わる仕事をしたかった。2つほど、自分の希望をある時、ある上役に伝えた。

しかし、そこに専属で人を置く考えはなさそうであった。

上司は私に、やるならずっと骨をうずめるぐらいの気持ちでコンピュータのことに取り組んでほしいという。そうでなくて中途半端では困ると。

それはもっともな話である。上司からすれば、当然、部下にはそうあってほしいであろう。

しかし、上司にもタイプがあって、その前の上司であったら、多分、"適当にやってればいいよ"みたいな感じだったと思う。

それゆえ、タイミングとしては、私にはそういう決断すべき時が訪れたんだなと思った。

しかし相当悩んだ。自分の中でやっていきたいこともあるが、それがすぐにできるかどうか、考えるととても覚束なかった。

いろいろシュミレーションしたが、決して楽な前途ではなかった。このままでいた方が経済的にはそこそこ安定し、生活を守るには良かった。

しかし、それでは心が納得できなかった。本気の改革の意思のない経営層の方々の元では、それを変えるにはまだまだ相当な労力がいる。

トップに身を切る思いがないのだからまず不可能とさえ感じていた。だったらその労力を新しい納得できるものの創造に費やした方がいいのでは、とも考え始めた。

まさに、進むも地獄、残るも地獄だった。

どれだけ悩んだかしれなかったが、もう前へ進むしかないと思った。

上司に伝えた。役員にも伝えた。私の中で辞めるに当たっての様々な思いや言い分が去来した。

しかし、よくよく考えると、環境がどんなに悪くても、そこでの延長線上に自分のビジョンが見えていれば、恐らく、それらを乗り越えて、そのビジョンを達成させるべく力を注いでいるだろう。

だから、辞める最大の理由は、誰が悪いとか、会社のここが悪い、とかではなく、この会社において、自分のビジョンが描けないから、それが結論だった。

だから、皆にはそう伝えた。周りからもそれについて反論されようがなかった。

"せっかく株が上がってるのに、もったいないわねえ"とある年上の女性社員が言ってくれた。

"俺も、この会社はこうでああで、、、"と愚痴交じりに半分羨ましく感じているように話す先輩社員もいた。自分にはもっと大きな夢があるんだ、そう思った。新しい船出をするんだ、そう心に誓い始めていた。

しかし、まだその時期には、独立するのか、再就職するのか、契約社員とか派遣社員とかでしばらくやっていくのかすら、完全には決まっていなかった。

もうこの流れは必然だったのだと思う。

(※ここから先は、細かく書くとまだだいぶ長くなりそうなので、別途、改めて記事を載せていきたいと思います。)

簡単にまとめてみると、まずは実際どうなるかわからないが、とにかく前へ進もう!そう決めたのだった。ここで留まっていても、中途半端な気持ちでくすぶり続けるような可能性が大きかったからだ。

こういう機会が訪れたのは、そういう時、タイミングなんだろう。

そして、いろいろ悩んだ末に、腹を決めたのだった。

そして、とにかく今度は、次を模索し始めた。

そして、わずかな可能性にかけながら、一歩ずつ進めていった。

ただ、決して前途は安泰なものではなかった。

とにかく、できるところからやっていくしかないと、そういう何かがないかを調べ、見つけていった。もちろん既にいくつかの候補はあった。

そして、関係者に会い、一歩また進めていった。

今思えば、このような機会がやってきたこと、また、その際の出会いが決して、その時点では、最良の出会いではなかったこと(いや最悪だったかもしれない)、あまりにも予想を越えた、矛盾しながらも言葉巧みに交わす金儲け主義の人間と縁を持ってしまったこと、時間的に余裕のなかった船出でもあり、じっくり吟味し選ぶ余裕がなかったこと、多少の障害があろうとも自分ならある程度やっていけるという自信があったゆえの選択でもあったこと、しかしながら、逆に貴重な経験、体験を短期間に集中してさせられたこと、などなど、どんな状況下でも自分はうまくいくはずだ、という自負がことごとく打ち砕かれ、地獄を見ながら、それをぎりぎりに追い詰められた中で越えていったこと、これらは逆にこの上ない、財産とも言えるような貴重な体験ともなったのでした。

1年ぐらいの間に、何十年もの時間を過ぎたかのような、とてつもない生きた心地のしない日々がありました。(今この文を書きながらも何か知らないが心臓が鼓動し始めているぐらいである)

最初の出会い、さらに別の出会いも、始めはとても運がいいとは思えない出会いが続いたのでしたが、その後、窮地の絶頂を越えてからでしょうか、今度は逆に、捨てる神あれば、拾う神あるとさえ思えるような出会いが続き、徐々に低空飛行ながらも回り始めるのでした。

また、以前、お世話したことのある方を通じての縁の中からも縁がつながっていって、仕事や、また別に講師の依頼などもはいってきたりもしたのでした。

地獄の真っ只中の状況はあまりにも思い出したくないぐらいの気持ちになるような事々だったのですが、実はそれら一連の出来事も必然だったのだと思います。



教訓

・人生は波があり、順調に行く時と、次へのステップのための、新たな状況を与えられる時が交互に来るものである。

・身を切るほどの決断をすれば、何らかのシナリオが既に用意される。それはドラマのような展開であったりもする。うまくいかないことがあっても不運と思わず、乗り越えさせるために与えられた試練と思うべき。

・環境によって意識は全く変わってくる。守られたサラリーマン時代の意識は無意識に依存している部分がある。すべて自分の責任において動く立場になれば、自由な裁量とともに大きな責任意識が強く芽生える。

・捨てる神あれば、拾う神あり。

・真剣さは相手に通じる

・どん底まで落ちれば後は少しずつでも上がるだけ

・目先の利益に心を奪われれば失敗する

・楽していい結果が出るようなことはない。あっても長くは続かない。

・多くを失えば、多くを得る。

・世の中、どこからチャンスが与えられるかわからない

・今、何も見返りがなくとも純粋に与え続けていたならば、忘れた頃に返ってくるようなことが起こる。










posted by 大空巡夢(人間力探求家) at 14:09 | TrackBack(0) | 37〜背水の陣での独立以降

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