2008年08月20日

どん底からの脱出(4)地獄、決死の取り組み、奇跡

プロジェクトの延長線上の出会いから、活気あるベンチャー系企業で力を発揮する。

が、しかし、

会社が行き詰まり、トップも行方がわからなくなり、離れる。国内放浪後、縁あって(魔が差して!?)再就職するも、今度は一転して、問題だらけの活気が全くない会社で、地獄の日々を味わう

その後、

必死で会社改革案をまとめあげ、首覚悟の必死の提言が時の国家改革の有力者との奇跡のシンクロを起こす。また、ISOプロジェクトを通じて、評価を勝ち得る。



いろんな流れの中、能力開発のベンチャー企業に関わった。意気に感じ、当初はアルバイトをしながらも手伝った。どんどん集客のためのアプローチ、営業活動をしていった。

それなりに実績をあげていった。月間1位とか、2位とかの結果もだした。

そういう活動を通して、自分自身も成長できた。プログラムの中身はかなり激しいものもあった。まあそれぐらい必要だとは思った。

しかし、トップは次第に傲慢になっていった。

"俺の言う通りにしろ!絶対うまくいく!"と。

しかし、そんなことはなかった。無理も生じてきた。もちろんそれだけのパワーのある人だったので、そこからは、かなり得られたことも多かった。

存続が厳しくなり、はかなく消え去った。トップもその後どうしているのかもよくわからない。

国内放浪後、縁あって再就職をした。

打って変って、全く活気のない職場となった。また、今思うとどうして選んだのかと思うほど、普通だったら絶対に選ばない業種、職場だったと思う。

とにかく、活気がない。その業種自体が不況になれば公共投資ということで長いこと守られ続けてきたのだ。

だから、皆、呑気だった。それゆえ、体質改善の機会が全くなかった。危機感が全くなかった。

ある種、お役所に近い体質であった。役所であれば、公のためという大義名分があり、少なからずやりがいも持てるのではないかと感じるが、そこではそれすらもなかった。

さらには、国内にいくつか事業所があり、他の事業部、事業所で利益が出れば、全体で分けていく仕組みにもなっているため、それ自体悪い考えではないのだが、弊害として益々危機感がもたらされなかったのだ。

甘えの構造が大きく立ちはだかった。小さいながら一種の大企業病と似た体質があったのだ。

さらには、業界には珍しく、国内のいくつもの事業所を丸抱えしていたので、小回りが利かず、現場の声は反映されにくく、現場から声を上げようという空気が、どうせ無理と、あきらめ感から、全くなくなっていた。

ユーザーが不特定多数の人たちであり、ユーザーからの喜びの声とかを聞く機会のない業種だったため、よりやりがいをなかなか持てない職場だった。

ましてや、世論としては、その材料を元に作られる物に対し、無駄に作っているとの声も大きく、誇りをもちにくい部分も大きかった。

製品を製造する過程、あるいは運搬する過程で、公害を発生させる状況があるために、決して地域からも歓迎されてない現実があり、より誇りを持ちにくかった。

若者に人気がない3K企業であったため、社員の高齢化が進み、ますます保守的となっていた。

何か夢を持って入ってくる社員は基本的にいない。既にいる社員もそうである。

それゆえ、当然、活気など起こりようもない。

若い人の給与水準も、非常に低く抑えられていたため、若い人たちの中にはそれも一つの理由となって辞める人も多かった。

古い社員が自分の縄張りを作ってしまい、次第に腐敗させていった。
いかに仕事をせず、かつ仕事をしたことにして、時間を過ごすかに腐心する社員が多くいた。

同族的要素も強く、能力に関係なく抜擢される人がいて、能力のある社員の不満を買い、やる気をなくさせた。

退職者が多く、自殺者も何人かでた。例に漏れず隠蔽され、噂で耳にした。小さくではあるが地方紙に出た事故の本社への隠ぺいもあった。暴力事件もあった。

私は、この会社を、一平社員にあってどこまでできるかわからないが、そこにいる限りは少しでも良くする、変える、それが自分の使命と感じ、過ごしていくこととした。

これらの詳細は長くなるのでここでは省くが別な記事で一部記載しているものもある。また別途、機会を見て載せていく。

私のしたことは、見方によっては小さいことであったかもしれないが、私の立場にあって、そこまでしたのは、また、不思議な奇跡的なことをも誘引したのは、とても大きな意味合いがあったように思う。

非常に短期間で、このような日本の企業組織の最も負の部分をかき集めたような稀に見る貴重な組織であったことによって、企業の全体や現場の実態、問題点、経営側から見た企業と理想、現場側から見た現実と理想、日本的経営の問題点などを凝縮して見ること、触れること、体感することができ、私の改革案は、それゆえ、血の滲む中で出来上がったものとなった。

それゆえに、時の有力者の、当時の首相への国の課題へのインパクトある改革案提示とシンクロ現象を起こしたのではないかと感じている。

とりわけ、地方勤務した3年間は、私にとっては地獄とも思えた3年間であり、その最後の年に、その改革案が、こっそりと、しかも作成は当然勤務時間外に絞って、ある時期ただひたすらそれのみに集中し、寝食を忘れ取り組み、できあがっていった経緯は忘れがたいひとこまであった。

ある役員からは、当時、"そんな一社員のものを誰が見るか"みたいに批難してきた。"自重してくれ"とも。

表面上のことしか見てない人にとっては、そんな表現になるのだ。

いずれにせよ、不思議と短期間で普通にはない経験が得られ続けてきた。

私の出た大学から、こんな企業に勤め、こんな体験をしている人は皆無に近いと思う。

当時は、"なぜ、そんな名のある学校を出て、こんな会社に入った?"などと聞かれることもあった。それはそうだ、普通は入らない。私も不思議な流れで入ってしまった。しかし今考えれば、何か見えない力の不思議な計画の中で、そうなったようにすら思う。

2000年問題に合わせたオフコンシステムの再構築のプロジェクト、品質マネジメントISO取得プロジェクトにその後関わり、それが終わった後、幹部の方々の改革にかける思いが本気でない、すなわち、まず自分の立場が先にありき、の中で進めているのが強く感じられたのもあり、理想構築をここで進めず、外に出てしようと決心したのであった。



教訓

・最低は最高につながる

・地獄ほど実は天国に近い

・必死でやれば、奇跡さえ呼び込める

・純粋な必死なる思いは、人の心に訴える。同調者を生む。

・どこにドラマが準備されているかわからない。多分すべての人にドラマは用意されている。あとはそれぞれがシナリオを生み出せるかどうか。気づくかどうか。果たせるかどうか。一つ壁を超えられるかどうか。

・時に名誉や地位やお金は、前進や飛躍への邪魔者となる









posted by 大空巡夢(人間力探求家) at 21:31 | TrackBack(0) | 28〜超自己否定の逆境へ
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